子供の問題・大人の問題
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◆パート1:遊びの情報化

 子供の教育に関するある本を読んでいると、
「今は情緒で子供同士が遊ぶのではなく、子供同士が持っている情報で遊ぶのだ」と書いてあった。
もう少し詳しく説明すると、子供同士が遊ぶのは、その友達が今、日本で流行っている、仮に遊戯王カード(子供を持つ親なら大抵知っている、新手のカードゲーム)とすると、そのカードを持っているから遊ぶのであって、その子が誰であってもいいということだ。

 僕はここで「あれっ」と思い、その日の朝に読んだ朝日新聞の遊戯王カード関連の記事を読み返した。
記事は子供の遊びについて集中連載しているもので、
「遊んでいる(2001年1月6日)」だ。
さっそく僕はこの記事を上の理論にあてはめてみた。
記事では、ADHD:注意欠陥多動性障害、簡単に言えばじっとしていられない子。
この子供が遊戯王カードゲームは集中して出来る。そして、このカードが媒体となって、普通の子と一緒に遊べると親が感動していると書いてあった。

 この記事をこの理論でみると、その子と遊んでいる子供は情緒的に繋がって遊んでいるのでなく、情報で繋がり遊んでいるとなる。つまり、このADHDの子と遊んでいる子供どもにとって、カードさえ沢山持っていれば健常者であれ、障害者であれ、全然関係ないことになる。これは一瞬素晴らしい人間関係だ。世界は一つ人類は皆兄弟だ!目をウルウルさせる輩もいるかもしれないが、ちょっと待ってくれ!

 この記事中でも否定的な意見が一部記載されていたが、上の理論から推測すると、もし将来そのカード遊びが廃れれば、当然今遊んでいる子は、別の新しい遊びの情報を持っている子と遊び始める。おそらくこの種の遊びはいつかは廃れるから、このADHDの子はまた一人ぼっちだ。そして事態は振り出しに戻る。いやもっと酷い状態になるかもしれない・・。
この話の展開に重箱の角をつつくような反論をする方もいると思うが、僕の子供の例からみてもほとんど間違っていないだろう。

 僕の子供の例:
正月休み、息子(小2)の同級生が遊びに来た、普段息子と遊ぶことのない子供だ。
僕が玄関を開ける、大人に挨拶をしない(最近の子供はほとんどそうだとカミさんも言っていたが、そうなんだろうか?)
この子供は僕を無視して、僕の後ろにいた息子に「遊べる」と声をかけた。手には遊戯王カードの入っている透明なプラスチックのボックスを持ている。
普段、何度か息子がやられている、かなり乱暴なこの子供。息子は嫌っているのだが、退屈な正月、遊戯王カードで遊びたい。しかし、こいつは嫌いだ・・。
「どうしよう、俺わかんねよ」と僕に言うでもなく呟いた。
僕は、とっさに野性的な勘で判断して、
「悪いな、今日は遊べない用事があるんだ」と言ってドアを閉めたのだった。
これは息子が情報だけで友達を選んで良いのかと判断に迷ったのだろう。

 子供時代は人の情報だけで、友達を選んでは、つまらなすぎる。
僕の子供時代は、放課後、何となく仲の良い友達同士が集まり、そこで遊びを考えたり、話あったりしたものだった。つまり情緒で結びついた友達だったのだ。
だから、いつまでも友達でいられる。
大人なれば、嫌でも情報だけで人間関係(これが人間関係といえるなら)を作らなくっては生きて行けない。
今でも、サラリーマン終えたら友達はいない。肩書き(これが今では情報と置き換わっている)が消えたら、「はい、さようなら・・・・」
教育の情報化も先生の情報が利用出来なくなれば、「はい、さようなら・・・・」だろう。
でも、人間関係も教育も情緒で結びついてないといけないのではないか?
とりあえず僕は、窓の外で珍しく1月に振る東京の雪を見ながら、静かに悩み始めたのだった。
終わり

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