◆パート3:学校教育におけるITとは?
2002年度からの文部科学省の学習指導要綱は、「生きる力」です。
自分で問題を発見して、自分でその答えを見つけだす意欲を育てることだそうです。
まさに建築家の安藤忠雄さんのような人間を育てることです。独立独歩で自分の道を切り開く力を付けた大人になって欲しいのです。この目標は、基本的に子供がしっかりと自立した行動をすることが前提となっています。
となると、そのベースが出来ている子供がいないことには無理な話なのです。物理的にも精神的にも満ち足りた現在、自立した子供を育てるのは並大抵なことではありません。特に幼年期から初年期まで、つまり小学校卒業するまでに、家庭と学校でかなり努力して育てないと、ほとんどの場合甘い人生を歩んだ子供達となってしまいます。
そうやって、甘やかされた人生を送り人格の基礎が形成された子供達が中学生になります。
そんな生徒を中学校の先生が自立させるのはほとんど困難でしょう。おそらく不可能に近いと思います。となると基本的な人間形成を行う小学校教育は大変重要となります。
さて、もう少し中学生の現状を考えてみましょう。上のキーワード「自立」「生きる力」に対して、今の中学生は「自立した行動=身勝手な行動」と認識しています。また、小さな自我で頑な子が多い。これではちょっとしたことで、過激に反応してしまう。つまり切れる子が増えています。一方相手が強い場合、逆に引きこもってしまう。ともかく我慢が出来ない、自分を押さえることが出来ない。全てを他人のせいとする依存心の強い子供。これが現在の中学生の大まかな傾向です。
その特徴を箇条書きに下にあげってみます。
この中のいくつかに、現時点の中学生は必ず当てはまりますが、それは完璧な人間はいないので当たり前のことなのですが、要はその当てはまる項目が沢山ある子供達が増加しているということなのです。
- 自ら行動が出来ない。
- 協調性と自立心がない。
- 集団の中で生きる知恵がない。
- 人と喜びをや悲しみを共有したりする力がない。
- 他人に自分の考えを伝える力、コツが下手、文章を書けない。
- すぐに誰かに頼り、親に依存する甘ったれ。
- 友だちとライバルになり切磋琢磨する力。正しい争いが出来ない。
- ちょっとしたことで、すぐに挫折してしまう弱さ。
- すぐに切れてしまう小さな自我。
では、ここから小学校でのIT化を考えてみましょう。まず今やITの代表格となったパソコンとインターネット、これは甘やかされた子供達にとっては格好の逃げ道となります。パソコンやインターネットは楽して結果が出せるという、教育面では利点でもあり、また欠点ともなる特徴ががあります。だから、単純に大人の理論だけで、
「ITだ!パソコンだ!インターネットだ!」
と、あわてふためくことなく、じっくりと考えてから導入して欲しいのです。
例えば逆説的な意見で、IT教育といいながら、パソコンを使うことにより、回答に対して、自由な発想がなくなっていることがあります。
つまり、とんでもない議論や発言、自由奔放な思想に対して、パソコンのなかのソフトの持っている許容範囲を越えた場合、それは管理上、「全て間違い!」と断定してしまう教育となるのです。
特にITを盲信する先進的な先生方にその傾向が大きいのです。パソコンが子供達の発想の自由さを奪っているのです。
例として、A先生は、ある科学の実験で機材がないとか、諸々の理由で、パソコンを使って、マルチメディアを駆使して教えます。生徒は興味半分で漫画みたいに楽しみます。実験は決して失敗しません。
かたやB先生は、代替の機材を適当に駆使して、何とか生徒達と実際に実験を実施します。しかし機材の問題か先生の実力の問題か、実験は結局は上手くいきません。それでも、生徒達には、実験を実際に実施するときの難しさとか、失敗から色んな可能性を学ぶことが出来ます。このような体験は子供達に本物の知識を教えてくれます。
ここまで説明したように、小学校を卒業するまでに、しっかりと自立した子供達を育ててない限り、中学生は上のA先生の苦労せずに正解が得られるIT化された授業を好みます。そして、人生はキーボード一つで理解出来ると、なめきった人生感を作り上げてしまうかもしれません。
今、小学校は、ゆとり教育として動物の飼育とか、蚕の飼育、野菜を育てたりと今は、実体験重視の教育となっています。これは非常に素晴らしいことです。
現在の小学生に大事なのは実体験です。今空気の臭いを嗅ぎ、土の臭い感じる生活が不足してます。リンゴの皮が剥ける、ご飯が炊けるな、道を迷わず帰れるなどの生きる能力をつけることが大切なのです。
我慢する力とか、自分を表現する力は、小さい頃の団体での遊びや学校生活、地域の生活に密着した遊びや活動で身につけられます。TVゲームなどの自分勝手なペースで遊ぶことになれた子供達には、そのような体験を得ることはますます難しくなっています。そして自立したいくない子供達を沢山作ることになる原因となっしまうのです。
仮にある小学生3年生が図書館に行きたいとします。
危ないから、ある親は車で図書館まで送ります。現代生活は便利です。
もう一人の子がいます。この子の親は公共機関を使って図書館へ行く方法と危険な点を教えます。もしかするとそれもしなかもしれない、そして子供は電車やバス、徒歩で図書館へ行くことになります。
彼は前述の車で送ってもらた子とは、違い、電車やバスの乗り方、道の歩き方、迷ったときの手段etc・・・色んな事を学び、それが積み重なり、数年後、子供の自立の大きな差となっていきます。
そのような教育が小さい頃は大切なのです。
貧弱な体験からは、豊かな想像力やいきいきとした発想は生まれない。
「ものより想い出」・・・パソコンより実体験
でも、パソコンなんていらない、ITなんて不要だ!、それはあまりにも短絡的発想です。
情報時代の現代において、’実体験’としての情報教育はとても重要です。
世の中、インターネット、携帯電話、色々な情報が溢れています。そんな情報の荒波に出て、正しく振る舞える基礎を学ばせることが大切なことになります。
となると、やはり情報を扱う実体験、失敗や間違いなどを起こしながら学ぶ必要があります。そこで、生徒の失敗や先生のトライアンドエラーも吸収出来るような、弾力的で陳腐化しない汎用的な、そんなIT教育が可能なインフラが必要となります。
しかし、先生方の力がないとこのシステムは暴走します。先生方への教育も大切な事項だと思います。
また、インターネットやラーニングシステムだけがITではありません。
これからはITのもう一つの利用方法、エコスクールへの技術利用も重要になってきます。
その点の話は別途書きたいと思います。
*ご意見待ってます
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